ボクシング - Wikipedia
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ボクシング(英語:boxing)は、拳にグローブを着用しパンチのみを使い、相手の上半身前面と側面のみを攻撃対象とする格闘スポーツの一種。拳闘(けんとう)ともいう。ボクシングの名前を冠した競技はタイのタイボクシング(ムエタイ)や日本のシュートボクシング等がある。
[編集] 古代ボクシング
詳細は「古代ギリシアのボクシング」を参照
そもそも握った拳で殴るという行為は、人類が二足歩行を始めてから既に会得していた攻撃手段だと言われている。
紀元前4000年ごろの古代エジプトの象形文字からも軍隊で使われていたのが判読されており、クレタ島の紀元前3000年ごろのエーゲ文明の遺跡からもボクシングの図が書かれた壷が発見されている。
古代ギリシア語では握りしめた拳をPUGMEといい、それからPUXOS(箱)となった。古代オリンピックでは第23回大会から正式種目となり、オノマストスが月桂冠をうけた。この時代は全裸でオリーブ・オイルを塗り、拳には鋲を皮のバンテージのような物で包んだグローブのような物を着用、腕や肘でも攻撃できたようだ。この当時はラウンドは無く、どちらかが戦闘不能、またはギブアップ(右手の人差し指を天に突き上げるとギブアップになったらしい)で勝負がつく。この競技は第38回大会まで続けられた。この競技からパンクラチオンが生まれた。
ローマ時代に入ってギリシア語から羅: PUGILATUS(拳での戦い)、羅: PUGILISM(「ピュージリズム」)という言葉が生まれている。奴隷同士が鉄の鋲を打ち込んだセスタスという武器を拳に着けて、コロシアムなどで見せ物として行われるようになった。敗者は死亡、または再起不能になったと言われている。
そして436年に西ローマ帝国が滅びると共に姿を消した。
[編集] 中世ボクシング
正式な名称ではないが、ここでは仮に「中世ボクシング」と呼ぶ。
イタリアやイギリス、オランダなどヨーロッパを中心に、護身として、レクリエーションとして細々と行われていたようだが一般には定着しなかった。13世紀ごろのイタリアまたはイギリスの神父が「ボクシング」と名付け、近所の若者に教えたのが「ボクシング」という名称の始まりだという説もあるが、定かではない。
[編集] 近代ボクシング
現在のボクシングの始祖といわれるのは、1695年にイギリスのオックスフォードシア州テーム村に生まれたジェームス・フィグ (James Figg) である。彼は、レスリング、フェンシングや棍棒術を得意としており、1718年にロンドンで「ボクシング・アカデミー」(ジムの原型か?)を設立して貴族などにボクシングを教え始めた。彼が行った「ボクシング」とはベアナックル(素手)で行い、蹴りや投げ、締め、噛み付き、目つぶしがあるパンクラチオンのようなものだった。フィグ自身も教える傍ら自ら「プライズ・ファイター」(つかまれないように頭髪を剃っていた)として腕自慢達を倒して賞金を稼ぎ、護身術としても優れていると認められたボクシングとともに名声を得てイギリス初のチャンピオンとなった。1730年に36歳で引退し、1734年に39歳で死去した。
そしてフィグの後継者であったジャック・ブロートン (Jack Broughton) が、自ら保持するタイトルの防衛戦の時、相手を殺してしまったために、「ボクシングを普及させるのはこのような危険は廃さねばならない」と考え、1743年に近代ボクシング初となる7章のルールブック「ブロートン・コード」(Broughton's Rule) を発表した。その内容はベルト以下への打撃の禁止・腰より下の抱込みの禁止・倒れた相手への攻撃禁止、ダウン後30秒以内に中央の所定の位置に立つことができなければ負け、リング(直径25フィートの円形、硬い土の上)などである。また貴族の練習の怪我防止用にマフラーという名のグローブを採用した。
しかし、実際の試合は相変わらず素手に近い形で行われ、1754年には死者が多いためイギリスでボクシングが禁止された。このため、ボクシングの試合はフランスやベルギーなどで行われたが、貴族や富裕層の支持は根強く1790年にはイギリスでボクシングが再開され、1811年のイギリス人チャンピオン、トム・クリブ対アメリカ合衆国トム・モリノーの再戦には2万5千人もの観衆が訪れるほどとなった。
1814年に元チャンピオンのジョン・ジャクソンが英国ピュジリスト保護協会を設立し、1838年に29条からなる「ロンドン・プライズリング・ルールズ」を発表した。その内容は、ベアナックルで行い、蹴り技の禁止・頭突きの禁止・目玉えぐりの禁止、ダウン者に30秒の休憩に加え所定の位置に戻るまでに8秒間の猶予を与えるなどであった。
このころのボクシングはダウンごとに1ラウンドとし50ラウンドにも及ぶ場合があった。そのため序盤は拳や手首を痛めないように用心しながら、徐々に打ち合っていくというスタイルであった。
1856年、フランスで八百長疑惑によりボクシングなどの興行がパリで全面禁止された。
1867年にロンドン・アマチュア・アスレチック・クラブのジョン・グラハム・チャンバースはルール保証人の第9世クインズベリー侯爵ジョン・ショルト・ダグラスの名を冠した、12条からなる「クインズベリー・ルール」(Marquess of Queensberry Rule) を発表した。これにより、投げ技が禁止されたほか、3分1ラウンドとしラウンド間に1分間の休憩をとるラウンド制、グローブの着用、ダウンした者が10秒以内に立ち上がれない場合はKO負けとすることなどが定められ、現在に通じるボクシングルールが確立した。ただし定着は遅れ以前の「ロンドン・プライズリング・ルールズ」についても1889年7月にジョン・ローレンス・サリバンがジェイク・ロドリゲスと行った防衛戦まで続いた。
スケートボードで探したいものクインズベリー・ルールにより行われた最初の公認世界ヘビー級タイトルマッチは、1892年9月7日、ジョン・ローレンス・サリバン対ジェームス・J・コーベット戦である。コーベットは当時のスタイル「スタンド・アンド・ファイト」ではなく、相手から距離をとってパンチをかわし、左の軽いジャブをあてるという「卑怯者の戦法」といわれたスタイルでサリバンを21回にKOし勝利をおさめた。
[編集] 関連書籍
[編集] 日本における歴史
[編集] 黎明以前
1854年2月(嘉永7年1月)のマシュー・ペリーの2度目の日本来航を記録した1956年のNarrative of the expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan[1](『ペリー日本遠征記』)に、同年2月26日に横浜で行われたペリー艦隊の水兵であるアメリカ人ボクサー1名、レスラー2名と相撲の大関・小柳常吉による3対1の他流試合の様子が記述されている。これが日本におけるボクシングに関する最古の記録となっており、この時、日本に始めてボクシングが紹介された(余談として、同じく1854年に田崎草雲とボクシング技術を使うアメリカ人水兵の喧嘩の記録が残されているが、あくまで試合ではなく喧嘩である)。この他、1879年(明治12年)に天覧相撲で鞆ノ平武右衛門に欧米人ボクサーが挑戦した記録もある。これらの他流試合が明治後期から戦後にかけて流行した外国人ボクサー(そのほとんどが力自慢の水兵)と柔道家による他流試合興行「柔拳試合」を生み、また、� �クシング技術を学ぶ者を増やしていった。柔拳試合に興味を持った嘉納治五郎の甥の嘉納健治は、1909年(明治42年)に神戸市の自宅に「国際柔拳倶楽部」を設立、日本に立ち寄る外国人船員からボクシングの技術を学んだ。この国際柔拳倶楽部がのちに日本選手権大会を開催する「大日本拳闘会」(大日拳)となる。
これより以前、1887年(明治20年)5月には、プロレスラーになるため3年間渡米していた元力士の浜田庄吉がボクシング技術を習得し、18人のボクサーとレスラーを伴って帰国。見世物として全国を回った。事実上、この浜田が日本最初のボクサーであった。また、「西洋大角力」と銘打ったこの見世物は、内容的には柔拳試合のような他流試合や事前に打ち合わせをしてある試合ばかりで、日本最初のプロレス興行とされているが、ボクシングの試合も行われており、日本最初のボクシング興行とも言える。1896年(明治29年)には、アメリカ帰りの元柔道家・齋藤虎之助が、友人のジェームス北條とともに横浜市に日本最初のボクシングジムである「メリケン練習場」を開設。しかしこれは入門者が定着せず間もなく閉鎖されている。
また、大正期に流行したアメリカ映画や新聞記事などでボクシングが紹介されており、一般庶民にも西洋にはボクシングというスポーツがあるという認識が広まっていった。
[編集] 黎明期
1921年(大正10年)1月、サンフランシスコでプロボクサーとして活躍していた渡辺勇次郎が帰国し、同年12月25日に東京・目黒区に「日本拳闘倶楽部」(日倶)を開設。これが日本の本格的なボクシング競技の幕開けとされる。日倶は本格的ボクシングジムとして多くのボクサーを育成。練習生の中から後の帝国拳闘会(帝拳)創設者・荻野貞行など日本ボクシング繁栄の礎となった人物や拳聖・ピストン堀口などのスター選手を輩出している。また、1922年(大正11年)5月7日には靖国神社境内の相撲場にて「日米拳闘大試合」を主催。以後、翌年の関東大震災まで継続的に開催し、それまで見世物でしかなかったボクシング興行を本格的なスポーツとして定着させた。
1923年(大正12年)2月23日、日倶の師範代であった臼田金太郎が、日倶後援のもと東京・上野の輪王寺の境内で学生拳闘試合を開催した。これが日本初のアマチュアボクシングの試合である。
1924年(大正13年)4月26日、東京の日比谷公園音楽堂で日倶主催による初のタイトルマッチ「第一回日本軽体重級拳闘選手権試合」が開催され、日本王者が誕生した。
1925年(大正14年)には複数の大学に「拳闘部」が創設されると、靖国神社境内の相撲場にて「第一回学生選手権」を開催された。この大会の成功を受けて、同年5月、渡辺勇次郎を理事長として「全日本アマチュア拳闘連盟」が発足、11月に連盟主催による「第一回アマチュア選手権」が開催された。
1927年6月5日、大日拳主催の「第一回日本選手権大会」が開催され、11月3日にはボクシング競技が第4回明治神宮大会に参加した。
1931年7月、拳闘ファンが急増した。スター選手の月収は1,000円以上で、帝国・大日本・日本・東洋など拳闘クラブ(ボクシングジム)も10を超え、税務署が財源として目をつけるほどであった[2]。
[編集] 関連書籍
[編集] 試合形式
[編集] アマチュア
アマチュアボクシングでは、シニア(18歳以上)では1ラウンドを3分間、ジュニア(高校生)では1ラウンドを2分とし、ラウンド間に1分のインターバルをおく。ラウンド数は、日本国内では3ラウンドでおこなわれる形式が一般的であるが、国際試合では1990年代後半から2000年代前半にかけて、1ラウンドを2分間に短縮して5ラウンド制または4ラウンド制で行われるなどした。日本国内においても、全日本選手権とそのブロック予選では2分4ラウンド形式で試合がおこなわた時期がある。しかし、国際アマチュアボクシング連盟では2009年1月より3分3ラウンド制に統一され、これに従って国内でも3分3ラウンド制に統一された。
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試合形式はラウンド制。1ラウンドを3分間とし、ラウンド間に1分間のインターバルをおく。ラウンド数は4ラウンド、5ラウンド、6ラウンド、8ラウンド、10ラウンド、12ラウンドの6種類。ラウンド数は選手のライセンスの種類によって決定される。なお、原則として12ラウンドは日本においては東洋太平洋タイトルマッチ、世界タイトルマッチの時にのみ実施される。
女子は原則1ラウンド2分間で、ラウンド数は4ラウンド、5ラウンド、6ラウンド、8ラウンド、9ラウンド、10ラウンドの6種類。ただし、海外では男子と同じ1ラウンド3分間を認めるコミッションも少数ながら存在している。世界タイトルマッチは原則2分10ラウンドだが、WBA・GBUでは3分12ラウンドも認められており、WBAでは他に2分9ラウンド、GBUでは3分8ラウンド、3分10ラウンドの選択肢も存在する。
[編集] 選手の服装
[編集] アマチュア
アマチュアボクシングでは、選手はトランクス、ランニングシャツ、シューズ、ヘッドギア、グローブを着用する。グローブの重さはシニア(18歳以上)の選手は全階級を通じて10オンス、ジュニア(高校生)はライトウェルター級までの選手は10オンス、ウェルター級以上の選手は12オンスである。また、負傷防止のためマウスピースとファウルカップを着用する。
[編集] プロ
選手はトランクス、シューズ、グローブ、女子はさらに試合着(タンクトップやスポーツブラなど)を着用する(海外ではトランクスの代わりにスパッツやミニスカート、ワンピースなどが認められるコミッションも存在する)。グローブの重さは男子はスーパーライト級までと女子はフェザー級までが8オンス、それ以上は10オンスである。また、負傷防止のためマウスピースとファウルカップ、女子はさらにチェストガード・アブドメンガード・を着用する(スパーリングの場合にはヘッドギアを着用することがある)。
近代ボクシング発祥の地・イギリスではヤード・ポンド法が使われていたため、階級を分ける数字もポンドによっている。そのため、キログラムでは中途半端な数字となっている。ただしアマチュアの階級はキログラムを単位として区分されている。
本体級よりやや軽い級に「ライト」、やや重い級に「スーパー」が添えられて呼ばれるものもある。
[編集] アマチュア
国際ボクシング連盟が定める階級は以下の通り(AIBA Technical and Competition rules(PDF))。なお、エリート部門は2010年より改められ、男子はフェザー級が廃止され、それより下の3階級の上限が変更、男女とも10階級となった。
- 男子Elite(17歳以上34歳以下)およびYouth(17歳および18歳)
- 女子Elite(17歳以上34歳以下)およびYouth(17歳および18歳)
- 男女Junior(15歳および16歳)
- (参考)国内大会での階級
[編集] プロ
プロボクシングにおける階級は、以下の通り。以前は、日本ボクシングコミッションでは「ジュニア○○○級」という呼称の形式を採用していたが、1998年5月1日に世界ボクシング協会(WBA)と世界ボクシング評議会(WBC)とでルールが統合され、両団体で異なっていた呼称も「スーパー○○○級」に一本化されたため、同時に日本ボクシングコミッションでも「スーパー○○○級」に呼称が変更された。それにより、ジュニアミドル級はスーパーウェルター級へ、ジュニアウェルター級はスーパーライト級へ、ジュニアライト級はスーパーフェザー級へ、ジュニアフライ級はライトフライ級へ変更された。
ただし、WBAやWBC以外の団体ではジュニアの名称は今でも使われている(団体によって名称に差異はあれど同じウエイトである)。男子は全17階級。女子は団体によって異なり、ミニフライ級(ミニマム級)の下にアトム級(ライトミニマム級)が設けられたり、スーパーミドル級より上の階級が一部または全部抜けていることもある。
[編集] アマチュア
アマチュアボクシングの勝敗の決し方は以下の通り。
- KO (KnockOut):相手がダウンしたのち、10カウント以内に立ち上がれない場合やファイティングポーズをとれない場合、もしくはレフェリーがダメージ甚大と判断してカウントアウトした場合。
- RSC (RefereeStopContest):プロボクシングのTKOに相当する。ただしRSCのバリエーションとしてRSCH (H=head)、RSCO (O=outclass) がある。RSCHは頭部へのダメージが甚だしい場合に適用する。RSCOはコンピュータ採点方式の試合中に15ポイント以上差がついた場合に適用する。また、試合中に選手が負傷し、レフェリーまたはドクターによって試合続行が危険と判断された場合にもRSCが適用される。
- 棄権 (Retire):選手本人、もしくはセコンドがこれ以上試合を続けることができないと判断した場合。タオルを投げ込んで合図するのが通例。
- 失格 (disqualified):反則によって減点が3点に達すると失格となる。
- 判定 (On Point):ラウンド毎に採点をし、より多くの点をとった選手を勝者とする。
- 不戦勝 (WalkOver):予定された対戦相手が出場できない場合は不戦勝となる。ただし不戦敗は記録につかない。
[編集] プロ
勝敗の決し方は、以下の通り。
暖かい水が良い氷を作るのですか?- KO (KnockOut):プロの場合、相手がダウン後、10カウント以内に立ち上がれなかった場合。
- TKO (Technical KnockOut):どちらかの選手が明らかに不利な場合や、試合続行不可能な状態になって試合を止めた場合。(1ラウンドで3回ダウンした場合=「スリー・ノックダウン方式」もTKOに準じる)
- レフェリーストップ:どちらかの選手のダメージが深いなど、これ以上試合を続行させると危険であるとレフェリーが判断した場合。記録上はTKO。
- ギブアップ:選手本人、もしくはセコンドがこれ以上試合を続けることができないと判断した場合。タオルを投げ込むのが通例。記録上はTKO。
- 失格:相手が故意に重大な反則を犯した場合、もしくは反則を繰り返した場合。
- 判定:ラウンド毎に採点をし、より多くの点をとった選手を勝者とする。
- 負傷判定:試合の途中で偶然のバッティングにより負傷した場合、規定のラウンドに達していればそれまでの採点で勝敗を決する。達していない場合は負傷引き分けとなる。
- そのほか、リングアウトとなるケースもある。この場合リングアウトされた選手は20秒以内にリングに戻らなければ負けとなる。
[編集] 採点方法
[編集] アマチュア
主要大会ではコンピュータ採点が導入されている。5人のジャッジのうち3人以上が有効打と判断した場合に1ポイントが与えられ、試合終了時に最もポイントが高かった選手が勝者となる。ジャッジペーパーを使用して20点満点の減点方式を取る場合もある。両方式とも引き分けは認められず、同点の場合は、コンピュータ採点の場合は「採点機のボタンは押されたが有効打と判断されなかったパンチ」まで含めて、より多いポイント数を獲得した選手を勝者とする。ペーパー採点方式の場合は「より攻勢を示した選手」あるいは「より優れた防御を示した選手」のいずれかを基準としてジャッジの判断に委ねられる。
[編集] プロ
10点満点の減点方式。互角の場合は10対10、一方が勝る場合は10対9、1度のダウンやそれに近い状態のときは10対8、2度のダウンやKO寸前の場合は10対7とする。それ以上に差が開いた場合はレフェリーが試合を止めるので、10対6という採点はなく、また10ポイント・マスト・システムにより、勝る方には必ず10点をつける。ダウンがなかった場合、より採点基準を満たした選手に10点が、そうでない選手に9点が与えられる。反則減点は合計点から引く。主な採点基準として次の4項目がある。
- どちらが有効打でダメージを与えたか。
- どちらがより攻撃的だったか。
- どちらがより相手の攻撃を防いだか。
- どちらの試合態度が堂々とし、戦術に長け、主導権を握ったか(リング・ジェネラルシップ)。
採点は3人のジャッジがそれぞれラウンドごとに行い、2人以上のジャッジが支持した選手を勝者とする。ジャッジが3人とも一方の選手を支持した場合をユナニマス・デシジョン(Unanimous Decision, UD)、2人が支持し、もう1人が引き分けであった場合をマジョリティ・デシジョン(Majority Decision, MD)、1人のジャッジがもう一方の選手を支持した場合をスプリット・デシジョン(Split Decision, SD)と呼ぶ。トーナメントなどで引き分けとなった場合は、引き分けをつけたジャッジが最終判断を下して決着を付けることになるが、大会によっては延長戦を行う場合もある。
試合中に以下の行為を行った場合、反則となり、レフェリーに注意を受ける。注意が重なった場合、減点対象となり、悪質な場合は失格負けとなる。
- バッティング。頭、肘などで攻撃する。
- ホールディング(ホールド)。腕やグローブで相手の身体や腕を押さえつける。
- ローブロー。相手のベルトラインより下を攻撃する。
- オープンブロー。グローブのナックル・パート以外の部分で攻撃する。
- チョップブロー。空手チョップのように攻撃する。
- ラビットパンチ。相手の後頭部を攻撃する。
- キドニーブロー。腎臓を攻撃する。背中側への攻撃は全面的に禁止。
- 投げ技、タックルなどのレスリング行為。
- レフェリーがブレイクを命じた後、「ボックス」と試合再開を促す前に攻撃する。
- ラウンド終了のゴングが鳴った後に攻撃する。
- サミング。グローブの親指で相手の目を突く攻撃。
なお、アマチュアボクシングでは、プロボクシングよりも反則規定が厳格である。国際ボクシング協会(AIBA)のルールブックに示される反則行為は、以下の19項目。
- ベルトラインより下を打つこと、ホールディング(ホールド)行為、足を引っかけること、蹴ること。
- 頭・肩・前腕・肘で打つこと、対戦相手を絞める行為、腕や肘で対戦相手の顔を圧迫すること、対戦相手の頭をロープの外側に押すこと。
- オープンブロー(握らない状態で打つこと)・インサイドブロー(グローブの内側で打つこと)、手首やグローブの側面で打つこと。
- 対戦相手の背面を打つこと。特に対戦相手の首・頭の後部への打撃、キドニーブロー。
- ピボットブロー(回転して打つこと)。
- ロープを握った状態で攻撃すること。その他ロープを利用したあらゆるアンフェアな行為。
- 寝ころぶこと、クリンチからのレスリング行為や投げ技。
- ダウンした、あるいはダウンから立ち上がろうとする相手を攻撃すること。
- ホールディング。
- ホールディングのまま打つこと、対戦相手を引っ張りながら打つこと。
- 対戦相手の腕や頭を抱え込むこと、または対戦相手の腕を下に押さえつけること。
- 危険な状態で対戦相手のベルトラインより低いダッキングを行うこと。
- 故意に反則をし、逃げ回るなどして攻撃を避けようとし、完全に受け身の防御を行うこと。
- 不適切な攻撃的姿勢をみせること。
- レフェリーがブレイクを命じたときに、きちんと後退しないこと。
- レフェリーがブレイクを命じ、後退した後、間髪入れずに打撃を試みようとすること。
- レフェリーに対して攻撃的な態度をとること。
- マウスピースを吐き出す行為。
- 対戦相手の視界を妨げるように腕を伸ばし続けること。
[編集] タイトル
ボクシングにおけるタイトル(選手権)とは、強さを示す肩書きである。プロ・アマ関係なく、基本的にボクサーはこれを獲得するために試合に望む。ただし、既に十分な地位や名誉を得たプロボクサーの中には、自身のプライドや金銭的な理由から、保持するタイトルを返上してでも、他の強豪選手との試合を優先させる者もいる。
[編集] アマチュア
アマチュアボクシングでは、地区・国内・国際・世界・オリンピックの順に価値が上がっていく。年齢ごとにジュニア・カデット・シニアのカテゴリーに分けられる。アマはプロと違い、トーナメント制を採用しているため、一度も敗北が許されないという点において、プロよりも王座の獲得は難しいといわれる。
[編集] プロ
プロボクシングでは、タイトルの価値は、地区・国内(ナショナル)・地域・国際(インターナショナル)もしくは大陸間(インターコンチネンタル)・世界・統一もしくはスーパー王座の順に価値が上がっていく。団体によってはユース王座を設けているところもある。日本では、日本ボクシングコミッション (JBC)が日本王座を認定している。知名度はないが日本にも地区タイトルが存在している。国内王座より上位に位置する地域王座は、地域連盟か世界団体の下部組織が認定を行っている。さらに上の国際(インターナショナル)王座や大陸間王座(インターコンチネンタル)、それに世界王座やスーパー王座等については世界団体が直接認定している。ここでは、プロボクシングにおける主要な世界タイトル認定団体を以下に挙げる。これらは4大団体と呼ばれる。WBAやWBC含むその他の団体はサッカーのFIFAのような組織ではなく、王座の認定組織でありプロボクシングその物を統括しているわけではない。なお、IBFとWBOは、WBAから分裂した後発団体で、「王座の乱立は望ましくない」とのスタンスによりJBCはIBF・WBOを公式試合の団体としては認 めていない。
プロボクシングにおけるその他の世界タイトル認定団体を以下に挙げる。歴史が浅いこれらのタイトルは4大団体のものよりも価値は低いと見なされ、獲得しても世界王座とは認識されないことが多い。IBF・WBOと同様に、JBCはこうしたマイナー団体を公式試合の団体としては認めていない。
プロボクシングにおける国際王座や大陸間王座は、世界団体が直接統括している。王座としての価値は世界王座よりも低く、世界王座挑戦前の試金石や箔付けのために利用される。JBCはこれらについて認めていない。
- WBA
- インターナショナル王座
- WBC
- インターコンチネンタル王座
- IBF
- インターコンチネンタル王座
- インターナショナル王座
- WBO
- インターナショナル王座
プロボクシングにおける地域王座は、世界団体とは独立した組織である地域団体、世界団体の下部組織、もしくは世界団体が直接認定している。JBCは東洋太平洋王座しか認めていない。
- 世界団体
- WBA
- アメリカ大陸王座
- パンアフリカ王座
- 旧スペイン語圏王座(ボリバル王座)
- 北米王座
- 中米王座
- ラテンアメリカ王座
- カリブ海王座
- WBC
- IBF
- 東西ヨーロッパ王座
- アフリカ大陸王座
- 地中海王座
- ラテン王座
- パンパシフィック王座(パン太平洋)
- パンパシフィック・ユース王座(パン太平洋ユース)
- WBO
- アジアパシフィック王座(アジア太平洋)
- WBA
- 地域団体
- 世界団体の下部組織
- 国内タイトル
- その他
[編集] テレビ中継番組
ボクシング中継も参照。
[編集] ボクシングをテーマにした作品
映画
ドラマ
漫画
小説
ゲーム
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